2025年11月2日 聖霊降臨後第21主日(C年) 「今日、救いがこの家を訪れた」
司祭 セシリア 大岡左代子 聖霊降臨後の期節も終わりに近づいてきました。今日の主日に与えられている福音書は徴税人ザアカイの物語です。ルカによる福音書のみに記されているこの物語は、多くの方にとって印象に残る物語なのではないでしょうか。 徴税人の頭であり、金持ちであったザアカイ。この名前には「義人」「清い」という意味があるようですが、最初ザアカイは「義しく清い」人ではなかったことが後半の告白でわかります。不正をしていたザアカイは町の人には嫌われていたでしょう。それでも、金持ちであること、徴税人の頭として権力をふるうことができたザアカイは、嫌われても気にせず、自分の為すべきことを為して、自分は大丈夫だ、と言い聞かせていたのではないかと思います。イエスが自分の町に来られた時、イエスを見ようとしたけれど、背が低かったため、群衆に遮られて見ることができませんでした。群衆はザアカイの存在に気が付いていなかったのか、ザアカイは木の上に昇らなければイエスを見ることはできませんでした。 そんなザアカイにイエスが声をかけられます。ザアカイはどんなに驚き、また喜んだことでしょう。町の嫌われ者で、日ごろは誰も声をかけないだろう自分に声をかけてくれる人がいる、しかもそれはイエス様!「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われてザアカイは、喜んでイエスを迎えたのでした。イエスがなぜザアカイの名前をご存知だったのかわかりません。嫌われ者ゆえ、名前を呼ばれることなど久しくなかったかもしれません。私たちも経験があると思いますが「名前を呼ばれること」はその人の存在を認められることでもあります。名前を呼ばれるだけでも嬉しいうえに、自分の家に泊られる、ザアカイにとって望外の喜びであったのです。このことをきっかけにザアカイはこれまでの自分の不正な在り方、その生き方を180度転換しました。 ザアカイの家に泊ったイエスとザアカイとの間にどんな会話が交わされたのかな、と想像します。イエスと語り合ううちにザアカイの心が解けていったのではないか、と想像します。そこに神様の御業が示されました。「今日、救いがこの家に訪れた」この言葉には神様の御業が現れたことを伝える意味があります。ザアカイは神様にとって「失われたもの」でしたが、それは「見つかるまで捜し求められるもの」でもありました。ここでイエスに見出された喜びが、ザアカイを新しい生き方へと導いたのです。ここに神様の御業が現わされたのです。このあと、ザアカイはどんな歩みを続けたのか、と想像します。お金持ちではなくなったかもしれませんが、きっと満たされた日々を過ごしたのではないでしょうか。
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