司祭 アンデレ 松山健作

ファリサイ派に属するニコデモとイエスさまの対話となっています。ニコデモは、イエスさまのなさるしるし(奇跡)に関心を寄せ、「あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」近づきます。

ニコデモの声かけに対して、イエスさまは「人は、新たに生まれなければ、神の国は見ることができない」と伝えます。ニコデモは、すでに歳をとっており、新たに生まれるという事柄そのものに抵抗をおぼえます。「もうこの歳になって新たには…」と思ったのかもしれません。

ニコデモの言葉をもう少し細かく見てみると、ニコデモは新たに生まれることを「もう一度」(デウテロン)と認識します。一方でイエスさまは「新たに」(アノーセン)と伝えています。この「新たに」は、「上から、神から」という意味合いもあり、神によって、天によって生まれ変わるということを想起させる言葉となっています。おそらく、ニコデモは、イエスさまの伝えている趣旨を認識できなかったのかもしれません。あるいは誤解して受け取った可能性を含んでいます。私たちも、イエスさまのみ言葉を黙想するとき、思いおもいに受け取り、時に誤認することもあるでしょう。

しかし、イエスさまはそのようなニコデモの誤認を理解して、「霊」の働きに柔軟に身を合わせて生きるようにと伝えます。「霊」とは、風のようにどこからともなく吹いていくものであり、人間の理解を超えて働く神の力です。ニコデモはファリサイ派の議員でありましたが、律法の細則にがんじがらめになってしまい、霊の力を悟ることに疎くなっていたのかもしれません。律法の細則とは、人間が神に忠実に生きるように作ったものであり、時に時代に合わなくなり、状況に合わなくなってしまうこともあり、人間が真の神に向かって生きることを妨げる場合もありました。

イエスさまは、神として働く「霊」に導かれて柔軟に変化しながら生きる命があることを「新たに生まれなければ」と私たちに伝えています。大斎節のとき、私たちが神の霊に身を委ね、新たに変化する中で自らの命を生かされる弟子として遣わされますように。