司祭 マタイ 出口 創
歌手中島みゆきさんの楽曲に、「夜の色」という歌があります。多分著作権の関係で引用できないと思いますので、歌詞の趣旨を概略します。
人は暗闇の夜を恐れている。光を希望だと思っている。そこに人は騙されていないだろうか。光があれば夜ではないと思い込んでいる。では、白夜はどうだ。鳥たちだけが騙されずに、光があって明るいけれども、実は夜だと理解して、ねぐらに向かう。
こんな感じです。ぜひぜひ本物を聞いて、歌詞を味わってください。
昨今のSNSやネット、またはそれらを引用しているテレビでは、デマやフェイクニュースなどが、声高に言いっぱなしで、無秩序に混沌としているように思います。何が事実で何が個人の主観なのか、何が誰の引用で、何がAIによって作り出された虚構なのか。私の理解力をはるかに超越していて、このような世界では生きていけないと思って、SNSやネット上の映像や言説には、接していません。
ところで、これらの映像や言説は、一昔前のパチンコ屋さんの照明にたとえられるかもしれません。夜の幹線道路沿いに立ち並ぶパチンコ屋さんの照明。煌々と周囲を照らし出して、そこだけまるで真昼のように明るい。通り人の目を突き刺すばかりに自己を主張する。何ならレーザー光線が夜空に突き刺さる。人工的に作り出された虚構の光なのに。
新約聖書『ヨハネによる福音書』1章5節は、イエスのことを次のように述べています。「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」。
闇の世界に光として誕生したイエスが、最初に「光あれ」(旧約聖書創世記1章3節)との言葉で天地創造を開始し、主と呼ばれている神ご自身であることを、ヨハネによる福音書は伝えています。古代においては、夜=闇だったかもしれません。でもいつの頃からか、夜でも人工的な光によって、必ずしも暗闇ではなくなっています。
人工的な虚構の光は、煌々と目に突き刺さるくらいにまぶしく、自己を強烈に主張します。しかし、真の光イエスは、広い世界の、また長い歴史の、ほんの片隅に、極々ひっそりと小さく、人間の赤ちゃんとして誕生しました。真の光は自己を強烈には主張しません。
今、私たちは、人工的な虚構の光によって、昼の中にいると騙されていないでしょうか。真の光イエスを、見失っていないでしょうか。「夜の色」に騙されず、極々弱く、ささやかながらも真の光であるイエスの降誕を覚えたいと思います。
クリスマス、おめでとうございます。