司祭 サムエル 奥 晋一郎
イエスさまは、弟子たちに「やもめと裁判官のたとえ」を話されました。やもめとは夫と死別又は離別し、再婚していない女性、夫のない独身の女性のことです。当時のユダヤの国のやもめは夫が死亡してか、または夫に一方的に離縁されて一人になったのかはっきりとしませんが、女性一人で生活することは差別もされ、生活をしていくのに非常に厳しい状況でした。だからこそ、このやもめは、人を人とも思わない裁判官に熱心に願い、相手を裁いて私を守って欲しいと願いました。その結果、その裁判官は、これまでの考えを改めて、やもめのために裁判を行ないました。さらに、イエスさまは弟子たちに、裁判官とは違って、神様は常に人を思いやっておられることを伝え、気を落とさずに絶えず祈るようにと言われました。
このイエスさまが弟子たちに言われたことは、私たちにも言われています。私たちはどうでしょうか。日々生活していれば様々な感情があると思います。うれしいこと楽しいことばかりではなく、悲しいこと、他の人には分かってもらえないという不満も時にはあるかもしれません。また、弟子たちと同じように、私たちもイエスさまに従って、心を神様に向けて礼拝しつつも、祈りつつも、将来、本当に神様からの救いにあずかることができるのだろうかという不安を持って日々を過ごすこともあるかもれません。
しかし、そんな状況にあったとしても、イエスさまは弟子たちと同じようにわたしたちにも、本日の福音書に登場する、やもめが生きることが大変で、生きるのに苦しい状況にあったとしても、人を人とも思わない裁判官に熱心に願い、相手を裁いて私を守って欲しいと願うように、あきらめずに、絶えず神様に祈りなさいと言われます。さらに、神様は常に私たち一人ひとりを思いやって下さっていることをおられることをイエスさまは伝えています。このことを心に留めて、私たちはこれからも礼拝で共に祈り続けていきたいと思います。