司祭 アントニオ 出口崇

『自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。』ルカ12:21

以前に人生の先輩から免罪符についての話を聞いたことがあります。

中世のローマカトリックの腐敗の象徴の一つとして、罪を赦されて天国に入ることが出来る免罪符を教会が売り出した、その反発からプロテスタント教会が出来あがる宗教改革が起きていきます。この免罪符、よくできているなあという不謹慎な話でした。ほかの宗教が売っているお守り、お札、高価なツボは、現世、今生きている苦しみが癒される、ご利益があることを謳っていますが、ご利益がない場合すぐに文句を言われる。

しかし免罪符は来世でのご利益なのでインチキでも文句は言われない、返品や訴訟にはならない。そんなくだらない話でしたが、中世の一部の人々ではなく、今なお私たちが持ち続けている「自分の人生も命も自分だけのも、自分の努力の賜物」という愚かさを改めて考えさせられました。

『自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。』

しかし、そんな豊かになれない私たちのために、沢山の冨、お恵みを私たちに与え続けてくださっている方がおられます。私たちが自分自身の努力だけでは神の前に立てない存在であることを知っておられ、ご自分の冨、命、豊かさ、持てるものを全て、何も無くなるまで分け与えてくださり、十字架に架けられました。