司祭 鈴木恵一
聖霊降臨後の期節が始まりました。今年はルカによる福音書が朗読されます。ルカによる福音書は「旅人」イエスを描き、誕生から死と復活・昇天までを「赦し・解放」を告げる旅として伝えています。私たちも福音書を聞くことを通してイエスさまの旅を共に歩みましょう。
今週は沖縄慰霊の日(6/23)を控え、日本聖公会は沖縄週間を記念します。沖縄の苦難の歴史と記憶を継承し、現在の沖縄に思いを寄せ、主の平和を祈ります。今年はアジア・太平洋戦争終結80年。平和を求める祈りを重ね、世界の争いや悲しみにも心を寄せます。沖縄週間では現地を訪れ、課題を知り祈る旅が行われています。
今日の福音書には、祈るイエスさまの姿が描かれます。イエスさまはガリラヤからエルサレムへの旅で多くの人々と出会い、苦しみに寄り添いながらも、ひとり祈る時間を大切にされました。祈りの中で神さまの使命を確かめ、次の歩みを進めていかれたのです。
そして「ペテロの信仰告白」と「イエスさまの受難予告」の出来事が記されています。イエスさまはガリラヤで宣教を始め、多くの人々が奇跡や言葉に期待し従いました。ガリラヤ湖畔で五千人にパンと魚を分け与える奇跡も起こりました。その後、イエスさまは弟子たちと山に退き祈ります。そこで「群衆は私を何者と言うか」と問われ、ペテロは「神からのメシアです」と答えます。メシアとは「油注がれた者」、救世主や王を意味し、当時の人々はローマ支配からの解放者を期待していました。
しかしイエスさまは、ペテロの告白を誰にも言わないよう厳しく戒めます。弟子たちや群衆の期待は「新しい王」でしたが、イエスさまは「人の子は多くの苦しみを受け、排斥され殺され、三日目に復活する」と受難を予告します。弟子たちは大きな衝撃を受けたことでしょう。イエスさまは、世俗的な王ではなく、苦しみを受けるメシアであることを明言されました。
さらに「私について来たい者は、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って従いなさい」と語ります。十字架を負うとは、単なる苦難の受容ではなく、神さまの御心に従順に歩むことです。イエスさま自身が父なる神に死に至るまで従順であったように、私たちも自分の思いや欲望を捨て、神の御心に従うことが「自分の十字架を負う」ことです。
イエスさまの十字架は、すべての人の罪を担う赦しの出来事でした。十字架は本来、処刑の道具でしたが、今やキリスト教のシンボルとなっています。イエスさまは苦しみの中、十字架を背負い、最後はクレネのシモンが代わりに背負いました。この姿は、イエスさまに従うことと十字架を負うことが一体であることを示しています。
人生は重荷を背負う旅のようです。苦しみや悲しみの十字架を感じることもありますが、イエスさまは「重荷を負う者は私のもとに来なさい」と招かれます。イエスさまと共に歩むことは、イエスさまが私たちの十字架も共に背負ってくださる旅でもあるのです。
イエスさまの十字架と復活に感謝し、共に担い、共に歩む日々を大切にしましょう。