司祭 マーク・シュタール

三位一体主日は、父と子と聖霊の三つが合わさったことを覚える日ですが、この特別な主日は毎年、聖霊降臨日の次の日曜日に巡ってきます(今年は6月15日です)。私は先週、香蘭の生徒たちにも説明しましたが、この機会に京都教区の皆様にも三位一体主日の話をしたいと思います。

私は数年前、18世紀に南インドで宣教した人の日記を読みました。彼はケララ(Kerala)と言う所で宣教していましたが、突然ケララ人たちが「三位一体、どうして三つの物が一つになり得るのか?」と理解できずにいたので、宣教師は困り果てた末、小さな器と水の入った水差しを取り出しました。そして、水差しから3滴水を器に落としました。1滴ずつ、「これが父、これが子、これが聖霊」それから器を揺らすと、当然ながら3滴の水は合わさって1つになりました。「ほら!3つあった物が1つになったでしょう!もう、ばらばらにはならないでしょう」。ケララの村人たちは納得して、三位一体の意味する所を理解し、その後この宣教師は大成功を収めたのです。

クリスマス、復活日、聖霊降臨日、キリスト教の主要なお祭りは神様が行った出来事を祝していますが、三位一体主日は神様が定められたことではなく、人間が作ったものです。この主日を始めたのは、カンタベリー大司教のトマス・ベケット(Thomas Becket)です。彼は1162年の聖霊降臨日の次の日曜日に大司教に着座しました。そして、それを記念するためにこの特別な記念日を設けたのです。彼は8年後の1170年にヘンリー2世の家来によって殺されてしまいましたが、父と子と聖霊の三位一体を祝う習慣はすぐにキリスト教の間に広がっていきました。

さて、この特別な主日が巡って来たということはキリスト教のカレンダーでは、幾つかの大きなイベントが終わったことを意味します。同時にキリスト教の学校として私たちの使命、仕事が始まるということでもあります。つまり、神様がなさるべきことは終わり、イエス様が伝えるべきことが伝えられ、使徒や弟子たちの務めが成し遂げられ、ついに私たち一人一人が使命を果たすときが来たのです。

今年(C年)の三位一体の主日の福音朗読は、ヨハネによる福音書16章5~15節です。この中で、イエスは弟子たちに、彼らがこれから歩む困難な人生を覚悟させています。弟子として、彼らは多くの試練と苦難に直面するでしょう。しかし、彼らは信仰を守らなければならないのです。そのためには支えが必要です。その支えは聖霊によって与えられます。イエスは、この聖霊が行動の基準を明らかにし、何が正しくて何が間違っているかを明らかにし、彼らを教育し続けると述べています。特に、イエスが言い残したことが聖霊によって明らかにされます。漸進的な啓示が続きます。キリストにおいてすでに示されている真理は、決して変わることはないです。 しかし、この聖霊によって、弟子たち一人ひとりをさらに明確にすることができるのです。

弟子たちに対するこの準備は、私たちも耳を傾けることができます。 私たちもまた、神の言葉を聞き、私たちに対する神の大いなる愛を体験してきました。また、私たちを救うために遣わされたイエスの鋭い啓示を、その模範によって感じてきました。私たちはまた、これから何が起こるのだろうかと思い悩み、ただ聖霊の介入と真理の啓示を受けてきました。

この朗読を読むと、ケララの宣教師と、彼がいかに聖霊の霊感を受けたかを思い出します。「これが父、これが子、これが聖霊」それから器を揺らすと、当然ながら3滴の水は合わせて1つになりました。「ほら!3つあった物が1つになったでしょう!もう、ばらばらにならないでしょう」