司祭 プリスカ 中尾貢三子

 神殿奉献記念祭の時の出来事でした。神殿奉献記念祭とは、11月~12月にエルサレムで8日間営まれる全国的なお祭りのことです。シリア王アンティオコス四世によるエルサレム攻略、神殿の略奪に対して祭司マタティアらによる「マカバイ戦争」により紀元前165年に神殿を奪還し、清めて奉献したことを記念して行われる祭りのことでした。時期は冬、乾燥地域故の昼夜の気温差の大きいことなどを考えると、決して穏やかな季節でなかったことは確かでした。

 ソロモンの回廊は律法学者たちがその場所で説教を行う場所でした。そこを歩いておられたイエスさまをユダヤ人たちが取り囲んで問い詰めました。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。メシア(救い主)なら、はっきりそう言いなさい。」それに対してイエスさまは「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。(中略)しかし、あなたたちは信じない」と言われたのでした。なぜなら「わたしの羊ではないからだ」と。

 羊というと、ふわふわもこもこしたあの姿や、群れて移動する光景が思い浮かぶと思います。羊は群れることで外敵から身を守ります。先頭にたつ者について動く習性があるため、羊飼いや牧羊犬により、かなりの頭数を飼育することが可能になります。 羊は飼い主についていれば、安全で食べ物の心配もない、とわかっているので、羊飼いの声や指示に従って動きます。その習性を逆手にとって、盗まれることもあったことでしょうが、信頼している飼い主の声や仲間の牧羊犬を間違えることは、あまりなかったのかもしれません。自分の羊の群れに対する合図が、別の羊の群れに通じないなどによって区別することも可能だったかもしれません。

 これまで何度も伝えられたご自身の受難の復活のメッセージを受け止めることができないユダヤ人や律法学者たちに向かって、イエスさまは「わたしの羊ではない」という表現を使われました。続けて「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」と言われます。そしてイエスさまの声に聞き従う羊たちに永遠のいのちを与えてくださるというのです。父なる神がイエスさまにあたえてくださった羊=神さまのために共に歩む仲間たちは、決して滅びることもなく、誰も神さまから引き離すこともできず、ずっと一緒にいるのだと言われます。神さまとイエスさまが一つであるように、イエスさまの声に聞き従う羊たちもまた、一つであり、その結びつきは誰にも奪えるものではないのです。

 受難と復活の出来事を経て、イエスさまから離れない、共に歩むと心を固めた人々に向かって、イエスさまは、その結びつきの強さと永遠を約束してくださっています。羊のように迷い出ても、探してくださる方のこの約束ほど、心強いものはないのではないでしょうか。