司祭 サムエル 小林宏治
ルカによる福音書第23章1節から49節
「ピラトから尋問される」「ヘロデから尋問される」「死刑の判決を受ける」
「十字架につけられる」「イエスの死」
「十字架上での出来事」
あるとき、ユダヤの指導者たちによって、捕らえられ、ローマの総督であるピラトのもとに連れて行かれました。そこでの尋問の後、十字架刑が確定しました。
イエス様は「されこうべ」と呼ばれるところに連れていかれました。そこでイエス様は十字架につけられました。二人の犯罪人も一緒に十字架につけられました。このあと、イエス様は死を迎えられました。人々の罪を背負って、その死を迎えられました。
今回は、その死の前に一人の人が救われたことを覚えたいと思います。イエス様の両側に、一人は右に、一人は左に、二人の人が十字架につけられました。まわりの人々は、十字架上にいる、イエス様と両側の二人を見つめていました。人々はイエス様をののしり、「自分を救ってみろ」と叫びました。
そのような中、十字架にかけられた犯罪人の一人が、イエス様をののしりました。
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」。すると、もう一人の方が、注意して言いました。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。われわれは、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました。
すると、イエス様は言われました。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」イエス様は、一人の人の願いを聞かれ、次のように言われました。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」
イエス様はこの後息を引き取られます。けれども、その前に、イエス様の横にいた一人の人の回心が起こりました。十字架上で、一人の人が、イエス様に受け入れられ、神の国に導かれました。一人の人が救われました。この出来事はわたしたちに希望を与えます。
多くの人にとって、イエス様には、十字架の死がふさわしいと思っていました。また、イエス様の近くにいた弟子たちは逃げ去りました。そのような中で、イエス様は一人の人を救われました。
イエス様の死に無関係な人はいません。イエス様はわたしたちの罪のために死なれました。その苦しみのただ中でさえ、イエス様は一人の人を救いに導かれました。苦しみ悶えながらも、人を救おうとする神様の愛をここに見ます。この神様の愛をわたしたちは大切にしたいと思います。