司祭 マタイ 出口 創

このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。【ルカによる福音書11章13節】

小さい子どもの頃、母が買い物に行くときに、よくスーパーに連れられていたと思います。そして大体、欲しいと思ったお菓子を買ってもらいたくて、駄々をこねたり、黙って買い物かごの中に勝手に入れたりしていました。子どもながらに、欲しい物を何とかゲットしたくって、工夫をしていた記憶があります。でもほとんどの場合、それは叶いませんでした。若い頃の母は厳しくて、子どもが欲しがっているお菓子くらいには、その願いを叶えてくれませんでした。でも両親が私に対して、必要だと判断した物は、惜しみなく与えてくれていたと思います。

今では私が大人になって、自分でスーパーに買い物に行きますが、つい欲しいと感じた瞬間に、その商品を買い物かごに入れてしまって、無駄遣いをしているような気もします。人の願いというものは、もしかしたら、必ずしも叶わなくても良いのかもしれないと、ふと考えてしまいます。

日本をはじめとして、古代からの人間の宗教心は、多分、願望を叶えてくれる方に願うというスタイルが原初だったのではないかと思います。その点だけをとったとしても、キリスト教は、日本の宗教心とは合わないかと思います。それが、日本人にキリスト教があまり受け入れられない理由の一つかもしれません。だってキリスト教の神は、人間の願望を叶えるのではなく、もっと良い物、即ち聖霊を与えると、上述の箇所でイエスさまは教えるのですから。

選挙などの戦勝祈願、合格、健康、安産、家内安全、交通安全、商売繁盛、世界平和、更には、世界征服や君臣豊楽に国家安康?? 人間の願望は多岐にわたって、また際限を知りません。キリスト教の神は、そのような個別の願望を叶える神ではありません。全時代、全人類、全世界に共通する、「良い物」を与える神です。ここでは即ち「聖霊」だと、イエス・キリストは教えます。

「だったら、聖霊なんて要らない、欲しくない」「だったら、キリスト教の信者にならない」「今欲しい物が欲しいんだ!」という人が、いらっしゃるかもしれません。でも今日のところは一旦、全時代、全人類、全世界に共通する「良い物」とは何だろうかと、少し思いを巡らしてみませんか? キリスト教の神は、小さい子どもたちが欲しがるお菓子を与える神ではありません。また世界征服や独裁願望など、そんな願い、神は叶えません。全時代、全人類、全世界に共通する、「もっと良い」と神ご自身が判断なさっているものを、与えてくださっているのです。それが「神の国」「永遠の命」、そして「聖霊」と呼ばれるものでもあるのです。

キリスト教の神は、「わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方」(エフェソの信徒への手紙3章20節)なのです。そしてその中には、あなたすら気付いていないかもしれない「あなた自身の本当の幸せ」も、含まれているはずなのです。