About Us
日本聖公会京都教区について
このたびは、日本聖公会京都教区のホームページをご覧くださりありがとうございます。
京都教区は、日本聖公会11教区の中で北から7番目南から5番目に位置しています。
9府県《京都府、大阪府の一部、奈良県、和歌山県、三重県、滋賀県、福井県、石川県、富山県》にまたがる教区です。
主教座聖堂は京都にあり、このことから京都教区の名称を持っています。
教会数は42(伝道所を含む)、日本聖公会の中で最も多い教会数の教区です。
信徒(現在堅信受領者)数は1,301人、聖職数は主教1人司祭26人(2022年度末)。
京都教区の教会は幼稚園や保育園などの多くの教会を併設して地域社会に貢献しています。
Topics & Message
メッセージとトピックス
主教のページ&主教メッセージ
主教 アシジのフランシス 西原廉太(中部教区主教・京都教区管理主教) イエスさまが十字架に架けられ、墓に葬られました。その週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に急ぎました。彼女が、最後に主イエスにして差し上げられる唯一のことが、イエスさまのお体に香油を塗ることでした。しかし、マグダラのマリアがイエスさまの葬られた墓に辿りついた時、墓から石が取りのけてあり、墓の中にあるはずのイエスさまの体はなかったのです。聖書にはこう記されています。「マリアは墓の外に立って泣いていた」。そんな彼女のそばに、いつの間にかイエスさまが立たれていました。そして、イエスさまは、マリアにこう語りかけられるのです。「なぜ泣いているのか」と。 実はこの「なぜ」というのは、マグダラのマリアがずっと抱えていた問いに他なりませんでした。「なぜ」私たちの主が、この地上から、私たちのもとから居なくならなければならないのですか。神さまは「なぜ」このような試練を私たちにお与えになるのですか。「なぜ」こんな不安と悲しみ、恐れを私たちにお与えになるのですか、という問いです。 この「なぜ」という問いは、マリアだけのものではなく、私たち一人ひとりの「なぜ」でもあります。私たちもそれぞれの日常の中で、いつも何かしら、この「なぜ」を神さまに問い、打ちひしがれる存在です。神さまはなぜ、私に、こんな抱えきれないような重荷を背負わされるのですか。なぜ、あなたは、こんな悲しみや苦しみを私にお与えになるのですか。あるいは、あの時、なぜ、私は、こうしなかったのか。私はなぜ、あの時に、あの人の傍に居てあげられなかったのか。私たちにはそのような「なぜ」もあります。 そのような私たち一人ひとりに、主は、「あなたは、なぜ泣いているのか」と言われるのです。主は、私たちの尽きることのない「なぜ」を取り上げられるのです。そして逆に、私たちに「なぜ」と問いかけられる。主は、私たちがなぜ泣いているのかは、すでに十分に知っておられる。主は、「なぜ」なのかと悲しみ嘆くその私たちの「なぜ」をそのまま引き受けてくださる。そして、こう私たちに語りかけてくださるのです。「あなたは、なぜ、泣いているのか。あなたはもう、泣く必要はないのだ」と。 私たちのあらゆる「なぜ」を引き受けてくださる主に、すべてを委ねましょう。そして、ただひたすらに「アーメン」と応えながら、主のご復活の道を共に歩みましょう。
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今週のメッセージ
週替わりで各教会からのメッセージです
司祭 ルカ 柳原健之 ヨハネによる福音書17章は、「大祭司の祈り」と呼ばれています。このように呼ばれるのは、旧約聖書において、祭司が犠牲をささげる前に祈っていたことに由来します。 最後の晩餐の後、イエスは心を騒がせる弟子たちに向けて、あなたたちの為に場所を用意しに行くこと、ご自分をぶどうの木に例え、弟子たちが自分と繋がりを保ち続けるように励まされ、弟子たちのもとに弁護者とも呼ばれる聖霊が与えられることを約束してくださいました。 これらのことを語られた後に、イエスは祈り始められます。「父よ、時が来ました」、ここで述べられている「時」とは、単にタイミングが来たという意味ではありません。神が意図されていた救いの完成の時がきたことを告げられています。イエスはご自分が十字架に掛けられることによって、人々の罪を担い贖われます。罪を取り除かれることによって私たちは真に自由に生きることが出来ます。それは神のご計画であり、神の愛でありました。イエスはこの出来事を「栄光」であると言い表されます。 イエスはご自分が「永遠の命」を与えるため、ご自分に与えられたすべての人に与えるために来られたことも明らかにされます。そして永遠の命とは、神とイエス・キリストを知ることでもあると教えられます。「知る」とは、知識のことではなく、人格的交わりのことをさして使われます。神と結ばれて生きる中で永遠の命は与えられるのです。 神によって集められた弟子たちは、神から子へ、つまりはイエスに与えられました。大切な弟子たちのためにイエスは祈られます。「彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。」十字架に掛けられ、天に昇られた後、弟子たちはこの地上に残されることになります。彼らの行く道は決して安心安全なものではありませんでした。イエスに敵対する者たちからの迫害など待ち受けていました。また、弟子たちの間には分裂も生じることとなりました。そのために彼らが「一つとなる」ことも祈られたのです。 この祈りは、今の私たちに対しての祈りでもあります。イエスは私たちの罪をも贖うために十字架にかかってくださいました。また、永遠の命を与えるため、そしてキリストに倣う者として生きていくことができるようにと祈ってくださっています。祈ってくださっている主を信頼して、この1週間も歩んでいきたいと思います。
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